岡山

【岡山】山口県下関の話part2

 こんにちは、仲達です。
今回は、下関の話part2です。
日本史の授業で話したかったのですが、この場を借り
てお話しします。

 下関には「乃木神社」があります。
乃木希典(のぎ まれすけ)陸軍大将を祀って
います。

 乃木大将をご存じですか?もしこの方がいなか
ったら、今日の日本は…ないかもしれません。


 彼は、東京・六本木の”乃木坂”に名前を残し
ています。乃木坂46の”乃木坂”です。


IMG_2482[1].JPG 
 下関の乃木大将をまつった乃木神社

彼は、1904年~1905年の
日露戦争・旅順(りょじゅん)攻略戦で活躍し
た軍人です。

 この戦いには、日本の命運がかかっていました。
万が一負けたら、日本は国を失い、ロシアの
一部となっていたでしょう。


IMG_2485[1].JPG
    乃木大将と妻の静子の像

 苦しい戦いの中、おびただしい戦死者を出しまし
たが旅順は一向に陥落しません。

1万をはるかに超える戦死者を出したところで乃木を司令官
からおろす話が出てきます。

その時、盟友・児玉源太郎大将は次のように言いました。
「乃木を更(か)えてはならん、乃木だからこそ兵
はついていく」
「俺が旅順まで言って乃木を助ける。」


28センチ砲.jpg
  旅順要塞を攻撃する、28センチ砲(高い命中率で歩兵を支援した)

こうして、人望の”乃木”と作戦の”児玉”のコンビができました。

 児玉の進言で、旅順の正面攻撃を中止し、目標を
203高地攻略に変えました。
この作戦変更によって、ついに
旅順は落ちていきました。

203高地.jpg
           203高地陥落の写真

 「一将功なりて万骨枯る」(多くの兵の犠牲の上の勝利)

 乃木大将は、明治天皇にこの戦いの顛末(てんまつ:
最初から最後まで)を報告する際、立っていられず
最後には膝をついて、さめざめと泣きました。止めようとし
ても、それはかなわず涙は後から後から流れてきました。

(余りにも大きな犠牲だったからでしょう…。)

IMG_2495[1].JPG
  乃木神社の細石(さざれいし)
(本物のさざれ石を初めて見ました) 

 日露戦争もまた、近代日本が経験した節目の一
つとして、長い歴史の流れの一コマになっていま
す。



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