特別賞
知念さん
名古屋学習センター(3年生)
高校三年生、十七歳。将来の夢は、社会福祉士になること。もし、何でもひとつ願いが叶うのなら、わたしは小さい頃のわたしを抱きしめてあげたいです。
社会福祉士とは、ひとの幸せを願い、そして支える職業です。このヒューマンキャンパス高等学校のなかにも、「生きづらさ」を識っている方がいらっしゃるのではないでしょうか。その思いには、人それぞれの理由があり、ひとつとして同じものはありません。目の前にいる相手の心を理解し、近い将来をより良くするために、あらゆる手を尽くすこと。それが、社会福祉士の使命です。
そして、この仕事を志したきっかけこそが、小さい頃のわたしでした。
わたしには、八歳年上の兄がいます。年の離れた兄妹ということもあって、あまり深く干渉することはありませんが、真面目でしっかりしているようで、面倒くさがりで雑なところもある普通の人です。
そして、兄が高校二年生、わたしが小学三年生のときでした。兄は学校へ通えなくなりました。幼いわたしは、何があったのか知りません。ただ、見ているだけでした。
学校へ通ってほしいと手を尽くす周囲のために、無理をして登校する兄の姿を覚えています。躍起になった両親が声を荒げていたとき、二人が落ち着くまでカーテンにくるまっていたこともあります。でも、そのすべてが他人事に思えてなりませんでした。同じ屋根の下で暮らす家族のことなのに、ひとり遠いところから見ている。まるで嵐が去るのをじっと待つかのように、部屋の隅でぬいぐるみを抱きしめているだけでした。
しかしある日、わたしは忘れられないものを見ます。私が風邪をひいて休んでいたときのことです。そこには、ダイニングテーブルの影に隠れ、小さくうずくまる母の姿がありました。近くに住む叔母との電話口で、聞いたことのない弱音と嗚咽が、さざ波のように寄せては返す。熱で靄がかかっていた頭も冴えて、そのとき初めて他人事ではないと思いました。ずっと家にいたのは、嵐ではなかったのです。けれど、その場でわたしにできたことは、「お母さん」の背中をほんの少しさするだけでした。
それ以降の記憶は曖昧ですが、ずっと母の味方でいようとしていたと思います。毎日大好きだと伝えたり、頭を撫でたり、ハグをしたり。周りの大人たちからは、「お母さんが大好きな子」としか見られていなかったでしょう。もちろん、それも嘘ではありません。ですが、嘘ではないからこその苦しさが、そこにはあったのです。
いま思い返せば、母にしたことすべて、幼いわたしがしてほしかったことのように思います。末っ子でなにかと立場が弱く、かばってくれるのはいつも母でした。そんな唯一の居場所がずっと不安定で、いちばん安心したいのはわたしだった。けれど、この気持ちが母を今以上に追いつめることは明らかです。だからわたしは、何事もなかったかのように母がただ安心できるよう振る舞うほかありませんでした。
きっと、ずっと怖かったと思います。今まで漠然と抱えていた寂しさや心許なさ、いつの間にか苦手になった大きな音や声。ひとのそばに居たいと思うのも、ぬいぐるみやブランケットを抱えていると落ちつくのもそうです。今になってようやく、居場所を守ることに必死で、怯えていたのだと気がつきました。
だから、わたしはもし願いがひとつ叶うのなら、小さい頃のわたしを思いっきり抱きしめて、「ありがとう」と伝えたいです。十年近くも置いてけぼりになってしまっていたけれど、大好きだって伝えて、頭を撫でてあげたい。あの頃、無自覚なまま頑張っていたわたしがいるから、今のわたしに社会福祉士という目標があります。たくさん思い悩んで、認められないまま頑張って、それで良かったのです。
辛いとも思えないほどの辛さには、いつかきっと解釈がつく。半年後か、十年後かも、五十年後かもしれないけれど、意味があると思える瞬間が絶対に来ます。
わたしはそれを「報われる」と呼びたい。 高校三年生、十七歳。将来の夢は、大人も子どもも、誰も置き去りにしない社会福祉士になること。頑張り続けた八歳のわたしは、誰に抱きしめられることもなく八歳のままです。もしもの話は叶わないけれど、これから先の未来は「もしも」ではありません。
わたしは小さい頃のわたしを連れて、ひとの幸せという願いを叶え続けていきます。